「日々挑戦・日々感動」第7回 いつの日か、「椿姫」を絶世の美女で
三田図書館の映画会で《椿姫》を鑑賞した。
これは、1997(平成9)年に制作されたフランス映画で、マルグリット・ゴーティエ(椿姫と呼ばた女性)は、クリスティアーナ・レアリが演じていた。
ヴェルデイのオペラ《椿姫》をCDで聴き親しんで来た私には、アリアや合唱のない椿姫の映画は、物足りない感じがした。しかし、レアリの美しい椿姫には、魅了された。
デュマの小説「椿姫」のマグリットは、誰をもハッとはせる程に美しい女性である。だからこそ小説になるのだと思う。
当然、映画化する時は、マルグリットに相応しい、美人の女優がいて初めて制作が検討されるのだと思う。1936年のアメリカ映画では、伝説の美人女優グレタ・ガルボがマルグリット役を演じている。
映画でのマリグリットは、絶世の美女でなければならぬのに、オペラは「歌唱力」が第一で、容姿は問題にされていないのだろうか。
小説を読むと『椿姫』も『マノン・レスコー』も『カルメン』も、皆若くて個性的で、ひと目で男を虜にしてしまう美女である。それに椿姫は、胸の病がある病人なのだ。色白でほっそりした女性の姿が目に浮かぶ。それなのに、柔道重量級のがっしりしたビィォレッタ(オペラの椿姫の名)が登場したら「椿姫」ではなく「ひまわり娘」になってしまう。
劇団「四季」のミユージカルにしろ「宝塚歌劇団」にしろ「歌」あり「芝居」あり「ダンス」ありなのに、主役の男女は、美男・美女を揃えている。
「芝居」も「ミユージカル」も「オペラ」も共に舞台芸術である。
絶世の美男・美女役を演ずるのであれば、当然、容姿もそれなりの役者や歌手が演じるべきである。もし主役に相応しい歌手が居ないのなら、公演は「舞台」ではなく、演奏会形式の「オペラ」でよいと思う。
昨年(平成28年)私はディズニー制作の映画《ジャングル・ブック》を観た。この映画は、最新の映像技術(CG)を駆使して、動物や風景を作り、それを実写化したものである。ため息が出る程に美しい風景、リアルな動物達の動きに視線はスクリーンにくぎ付けにされてしまった。
オペラ《椿姫》をこの技術で作り出したら、どんなビォレッタが誕生するのだろうか? レアリ以上の美女になると思った。オペラには美男、美女が登場する名曲作品が沢山ある。
いつの日か、CGで作り出したビォレッタで、アリア「あゝ、そは彼の人か。花から花へ」「過ぎ去った日々」等を聴いてみたいものである。