コラム

「幸せだったね」と言われるような生き方・死に方

昨日、月一回の傾聴ボランティアの勉強会がありました。この会のメンバーは、施設や個人宅に定期的に出向き、お年寄りのお話を傾聴しています。その日は講義と話し合いをした後、一人ずつ「どのように死にたいか」「どこで死にたいか」を発表することになりました。

 

どのように死にたいかは、どのように生きたいかにつながります。私はいっしょにエッセイを学んでいる一人の友人を思い出しました。これまで老人ホームにいたのですが、ある日、「私、ホームを出ることにしましたの」とおっしゃるのです。皆びっくりしました。90歳の彼女は、これからの少ない人生を好きなように生きたいと言いました。その日の献立を自分で決め、買い物をし、料理して食べる。一日の使い方は自由です。本を読んだり、エッセイを書いたり、手紙をしたためたり、時にご近所の方とおしゃべりしたり…。びっくりした私たちですが、彼女の勇気ある積極的な生き方をすばらしいと思いました。私も見習いたいと思っています。

 

それぞれ発表した中で、どこで死んでもいいけど家族に迷惑をかけたくない。そのためには家の中にたまった物を捨てなくてはと発言した人がいて、ほぼ全員がうなずいたように見えました。一時「断捨離」という言葉がはやりましたが、衣類や履物は捨てないと、どんどん増えていきます。食器棚もいっぱいです。写真がいちばん困るそうです。見られて困る日記も、元気なうちに処分したいと言っていました。同感です。物を少なくすれば、長い人生を快適に過ごせそうです。
そのほか、病院で家族や友人に見守られながら、「ありがとうございました」と言って旅立ちたいという話もありました。ぴんぴんころりもいいけど、やはり、お別れをする時間が欲しいということです。

 

親類の3回忌の法事がありました。息子の挨拶です。「おふくろは楽しいことが好きで、色々なことをやっていました。民謡を習ったり、三味線を習ったり、太鼓もやって、仲間で海外に行って演奏もしました」
告別式の会場には笑顔いっぱいの写真が飾ってあったのを思い出しました。子どもをお祖母ちゃんに預けて、遊んでばかりいると非難する人もいましたが、今、思えば、いつも楽しく動き回っていた母親を思い出すことができるのは幸せだと思います。

 

 私は、自分の母がいつも人のために働いて、自分のやりたいことがあまりできなかったので、協力しなかったことをとても悔いています。書道・俳句・民謡、みんなできませんでした。お遍路をしたい、と言っていたように思いますが、どんなことか聞いてあげることもしなかった。自分のことだけで大忙しでした。もっと、母の時間を作ってあげて、いろいろさせてあげたかったと母を思い出すたびに悔いています。だから、私のような思いを娘たちにさせたくなくて、今、私は好きなことをしています。旅立つときも、その後も、「お母さんは好きなことができて幸せだったね」と言ってほしいのです。             

研修担当者の皆様へ

「どのような研修を企画すれば、自分たちの組織のためになるのか」
「どのような研修を実施すれば、受講者が満足するのか」
研修担当の皆様は、日々、このようなお悩みを抱えていることと存じます。
私どもが目指すのは、受講者はもちろんのこと、ご担当者にも満足していただける研修です。
「総合教育に頼んでよかった」
そう言っていただけるよう、ご担当の方と協力しながら取り組んでいきたいと考えております。